みなさまこんにちは!
本日はインスタントフィクション集第2弾でございます✨
第1弾をまだ見てないよ!と言う方は先にこちらをご覧ください💓
それでは早速、第2弾インスタントフィクション集を見ていきましょう!
〜目次〜
インスタントフィクション#44「喫茶走馬灯」
「喫茶走馬灯」
午後の黄色かかった太陽は赤みがかり、
膨張しながら下降している。
夕暮れとはいえまだ暑さの残る中、
男は途方に暮れていた。
今日は一つも契約を取れなかったのだ。
会社へと戻るわけにも、
そのまま家路につくわけにもいかず、
ただあたりをとぼとぼと歩く。
昼間の汗で中のシャツはまだ濡れたままだ。
ふと顔を上げると、視線の先に喫茶店があった。
外壁の半分を蔦が覆うレトロな喫茶店。
汚れた看板に「喫茶走馬灯」と書かれている。
喫茶走馬灯?
もともとそこにあったような気もするし、
いま急に目の前に現れたような気もする。
そんな妙な感覚に襲われながら、
男は吸い込まれるように店に近づいた。
マス目の大きな木製の格子扉に手をかけ、押してみる。
開かない。
引いても同じだ。
格子にはめ込まれたガラス部分から中を覗いてみると
店内は暗く、コードのついた照明看板が
レジ前にひっそりと置かれていた。
定休日だった。
今度また来てみよう。
完
なんだ!?この手法は!?全行面白い衝撃の文章!キングオブコント決勝常連ザ・ギース高佐の小説に又吉も思わず唸る【#44 インスタントフィクション】
最後のオチが予想を裏切るこの文章…笑
さすがコント師が書いたインスタントフィクションですね!
では早速髑髏先生の考察を見てみましょう!
喫茶走馬灯
ひげもじゃの人の悲しみを知り尽くしているマスター、
あるいは全ての謎を解き明かる名探偵マスターがいそうな「走馬灯」
そんな絶対入りたい喫茶店だと感じさせる店名ですね。
この店名は、期待したのに「最後入れないんか〜い!」というオチが引き立つ店名ですね笑
夕暮れの表現
冒頭の
「午後の黄色かかった太陽は赤みがかり、膨張しながら下降している。」
という表現は、かなり凝った夕暮れ時の表現です。
これはただ「夕暮れ時」などと表現するのとは違い、今後何が起こるんだろうと後半に期待させるきっちりした書き方です。
髑髏先生はこれをコントに例えています。
つまり最後のオチに備えて前半はしっかりお芝居をして緊張感を持たせ、後半にそれを崩したコントが活きてくるという訳ですね!
「冒頭ドキドキワクワク」→「最後のオチ最大限発揮」という素晴らしい流れができています!
主人公の問題点を解決していくストーリーのはずが…
主人公は契約を1つも取れず、途方に暮れ、行き場を無くしています。
そこで突如現れる「喫茶走馬灯」
あらゆる物語で出てくる、その喫茶店が必要な者の前に現れる喫茶店です!!
これが救いの店だと読者は期待しますね。
きっと主人公も期待しているに違いない!
そして、主人公は吸い込まれるように店に近づきます。
ドアをひいても押しても開かない。
どうやって入るんだ?何か特殊な方法が要るのか?
期待と不安で胸が高まる展開です!!
「完」
走馬灯の中を主人公が覗くと「コードのついた照明看板が店内に置かれている」=定休日という表現があります。
非常に想像力を掻き立てられる、とても素敵な表現です。
情景をついつい妄想してしまいますね〜
そして「また今度来てみよう 完」
…
「え〜!?」ってなりませんか?
めちゃくちゃ突っ込みたくなります。
しかしここで終わらないといけないんです、このストーリーは。
明日喫茶店に来て問題が解決されてはいけない。
この主人公は、解決できずに物語の中に閉じ込められるというストーリーなんです!
間を適度に開けて「完」を強調させています。
つまり、本来であれば喫茶店で問題解決できるというストーリーをフリにして、裏切って新たな物語にするという、高度な技です!
読者がこの全体の流れに気づいてくれるかどうか、勇気がいる文章です。
おまけ:髑髏先生がノリに乗ってさらに妄想!
ちなみに動画内では、髑髏先生の妄想ストーリー解決できた版が語られています笑
つまりもし走馬灯が定休日じゃなく、入れたらどんな展開になるか…を妄想したものです!
早速みてみましょう♪
喫茶走馬灯に入る。
すぐにヒゲモジャのマスターが水を出してくれる。
水にはレモンが入っていて、男は父親ときた喫茶店を思い出す。
少年野球をしていたあの頃、父親ときた喫茶店でもレモン水をのみ、その後ミックスジュースを飲んだ。
「俺、あの少年野球の時ぐらい一生懸命に仕事できてるかな…」
幼い頃の思い出に勇気づけられ、男は再び立ち上がる。
勝手に筆者の妄想ストーリーも作ってみました笑
喫茶走馬灯に入りカウンターに座ると、隣にカップルが座っている。
仲睦まじいカップルを見ながら、主人公は妻に告白したあの日を思い出す。
「ビッグになって〇〇ちゃんを幸せにする!」と俺は言ったっけ。
あの決意を固めた日、妻を守ると決めた日のような気持ちを、俺は今も持てているだろうか。
マスターがアイスコーヒーを静かに置いてくれる。
それを一気飲みする。
そして、あの日の思いを胸に主人公は再び立ち上がる。
妄想まみれですが、楽しんでいただけると嬉しいです!笑
インスタントフィクション#14「桃太郎」
さて、斬新な桃太郎といえばこちらのインスタントフィクション「桃太郎」です!
「桃太郎」
私は、桃太郎。桃から生まれた、あの、である。
故に、世の大半、いや全員が、私が桃から生まれたから、
桃太郎なのだと、思っているだろう。
それは、おおよそ間違ってはいない。
何故なら、あの陰湿な婆さんが、私の顔を見るなり
「桃太郎。」と叫んだからである。
しかし、それは、私の策略に過ぎなかった。
婆さんが暮らす街には、とても強い男が住んでいた。
その強さから、皆に慕われ、兄と呼ばれていた。
ある日、私は、その兄と共に鬼ヶ島へ向かった…。
「驚異は去ったのだ、そろそろ向かおう。」
家族と共に急ぐ足音が聞こえる。
「戦いは終わった。海を渡るぞ。
往復する力は残しておけよ。」
父からそう言われた私は、ふてくされて、角を触った。
波音に揺られ、船は進む。
桃太郎は鬼のスパイ…おとぎ話は妄想のおもちゃ❤️【#14 インスタントフィクション】
まさかの桃太郎が悪役チックなこのストーリー…
早速考察を見ていきます!
桃太郎が鬼のスパイ?
この話を読むと、桃太郎が鬼のスパイだということが、何となくわかると思います。
あの陰湿な婆さんとお婆さんのことを言うぐらいですから、お婆さんにも恨みがありそうですよねぇ…
そして「私の策略に過ぎなかった」と言っているぐらいですから、これは鬼側の作戦で桃太郎がお婆さんの元へ潜り込んだと言うことでしょう。
また、髑髏先生は桃太郎が潜り込んだのは5〜8歳ぐらいなのではないかと推測しています。
その理由として、赤ちゃんなら「ももちゃん」、成人男性なら「桃男」などの名付けをするはずだと仰っています。
なるほど〜と思いますよねぇ。
確かに「桃太郎」と名付けるなら、ちょうど少年ぐらいの年齢っぽいです!
お婆さんは性格が悪い!?
このお話では「陰湿な婆さん」とお婆さんが表現されています。
鬼たちは、お婆さんから何か陰湿な嫌がらせを受けている、と言うことです。
髑髏先生は、膨大な年貢を納めさせられていたのではないか、と妄想しています。
お婆さんが、何らかの権力者であることは間違いなさそうです!
もしもお婆さんに歯向かおうとすると、(兄と慕われている)強い男に制圧されるから逆らえないんですねぇ〜
このお婆さんに復讐すべく、スパイとして潜り込んだのが桃太郎と言うわけです。
そして強い男と桃太郎は、一緒に鬼退治へ行くフリをして鬼ヶ島へ向かいます。
鬼ヶ島についてしまえば、あとは桃太郎が不意打ちで、強い男を後ろから金棒で殴ればKOですね…!
後半部分へ
「驚異は去ったのだ」と言うここから、物語は後半へ入ります。
驚異は去った=兄を倒せたと言うことでしょう。
いよいよここから、お婆さんに直接復讐する時がやってきたのです。
そこで桃太郎は家族と共に、お婆さんがいる村へ向かいます。
桃太郎が角を触っていますから、やはり桃太郎=鬼ということですね。
もちろん父も鬼です。
しかし桃太郎は、最後の襲撃前に「ふてくされて角を触った」と言っています。
これは、お婆さんに対して情が湧いたという事でしょう。
本当はお婆さんのことは倒したくなかったんでしょうねえ
でもお父さんに説得され、仕方なく一緒にお婆さんを倒しに行くというわけです。
確かにこの好機を逃せば、お婆さんはまたボディガードを雇ってしまうかもしれません…
角を触っているのは「ああ、俺はなんで鬼なんだろう…」と少し後悔している桃太郎の様子を表していると感じます。
そして桃太郎がこれだけいい鬼なのだから、他の鬼も本当は心優しいのではないか、と髑髏先生は仰っています。
この後、心優しい鬼たちは暴力で全て解決したことを後悔します。
結果的に強い男(兄と呼ばれている)と、お婆さんをおそらくは殺害してしまったからです。
そして、この悲しい悲劇を繰り返さないために、桃太郎だけでも英雄として鬼が退治された話として語り継ごうとした。
その結果、今の桃太郎という話ができたのではないか。
鬼たちは今回は無事に復讐が果たせました。
しかし、復讐は連鎖すると言われます。
つまり、今度は鬼たちがやられる可能性もあるわけです。
そんな自戒を込めて書いたストーリーが、今の桃太郎なのではないか
すごい想像力ですね!
実は今の有名な「桃太郎」は鬼が書いたストーリなのではないかということです。
非常に素晴らしいインスタントフィクションでした。
インスタントフィクション#38
続いてのおすすめはこちらの「青い空ぐるり」です!
「青い空ぐるり」
教室の窓から見える空は四角
明日から夏休みだと伝える先生の声は三角
やったーと喜びを露わにするクラスメイトたちの歓声は丸
初めての夏休み。
学校から解放される40日に対する
私の気持ちは正六万五千五百三十七角形。
「なにそれ?」
と聞き返されても私にその言葉は届かない。
あーまた始まった
いつまで経っても、クラスに馴染めないのは
私に図形がないからなのか。
日焼けした肌、茶色。
運動会の練習、赤色。
遠足の準備、水色。
明日から冬休みだと伝える先生の声は緑色。
やったーと喜びを露わにするクラスメイトたちの歓声は、オレンジ色。
教室にいない私から見える空は
四角くも丸くも三角でもなく、
ただただ青い。
主人公の存在や状況が謎めいた作品の魅力とは…又吉の妄想解釈で目からウロコ!別物語が立ち上がる【#38 インスタントフィクション】
なかなか不思議な文章ですね~
私は初めて読んだとき、ちんぷんかんぷんでした笑
早速、万博先生の素晴らしい読み解き方をチェックしていきましょうっ!
図形
まず、このお話の特徴として主人公が図形を用いて見たことや・感じたことを表現していることがわかります。
言われてみれば、先生の声が三角と角ばっていたり、歓声が丸だったり、なんとなく理解できます。
そして、夏休みに対する私の感情が正六万五千五百三十七角形というのは、非常に気になります。
これは、限りなく丸に近くてうれしい(歓声が丸であることを踏まえて)という感情だと予想できます。
しかし、嬉しいだけではなくものすごく複雑な感情が入り混じっているため、このような多角形で感情を表したと思われます。
自分が出てくると形にできない
先ほど、人を観察しているときの感情は図形で表されていました。
しかし「なにそれ?」と聞き返されたとき、私に言葉は届かないと書かれています。
つまり、感情を図形であらわすことができなくなっているのです。
これは、自分が観察者でなくなった瞬間に、図形で表すという感覚が失われていると解釈できます。
その次に書かれている「いつまでたってもクラスに馴染めないのは、私に図形がないからなのか」という表現。
この文からも、主人公は人や周囲から何かを感じることはできるが、自分から何か感情を表したり発信することがあまりない人物なのかな~と予想できます。
夏休みに入ったということで、おそらくここで1学期が終わったと予想できます!
色
そして、この作品の要とも言える後半部分(おそらく2学期に入った部分)です。
後半(日焼けした肌、茶色~)は、感情が色で表現されています。
また、一番最後の段落で「教室にいない私~」と書かれており、教室にいないため実際に見ていない=図形にできないので色で表現するようになった、と予想できます。
どういうことかといいますと、主人公は2学期から学校に行けていないから、実際に見ることができなくなったのではないか?ということです。
また、最後の「教室にいない私から見える空は四角くも丸くも三角でもなく、ただただ青い。」という文も気になります。
空は時間によって色が変化するにもかかわらず、具体性に欠けているからです。
これを、万博先生は「病気などで空もまともに見れないような状況なのではないか」「悲しみを感じる」と予想されていました。
おまけ:オレンジ色の解釈について私の考察
万博先生の解釈の中で、ちょっと気になったポイントがあります。
主人公は、ほかの色を漢字で書いているにも関わらず橙色=オレンジ色と表現しています。
これを万博先生は「実際にオレンジを(病室などで)見たから、橙色だけオレンジ色と表現したのではないか?」と予想していました。
ですが、私の解釈は少しちがいます✨
私は、この作品が作者が幼いころの思い出をもとに書かれたから、橙色ではなくオレンジ色と表現したのでは?と予想しました。
橙色という表現は、小学生ではあまり使わず、多くの人が中学生以降に使用するのではないかと思います。
ですのでこれは筆者の妄想ですが、小学校1年生の時の思い出をもとに作者が書いたのではないか?と予想しました!
(もしかすると、万博先生の解釈+筆者の解釈両方を併せもっている可能性もあり?)
皆様のご意見も、ぜひお聞かせください💛
「青い空ぐるり」まとめ
では万博先生の解釈をまとめていきます!
この主人公は、1学期では学校に通い、周囲を観察しながら感情を形として表現することができていた。
しかし、自分を表現するのが苦手であり、自分の気持ちはうまく形にできなかった。
夏休みに入り、何らかのトラブルで主人公は2学期から学校に通えなくなった。
そのため、感情が色で表現されるようになった。
「青い空ぐるり」というタイトルは、何者にも縛られない一面の青空を指しており、主人公の解放されたいという気持ちが表現されていると予想される。
さいごに
ここまで読んでくださりありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけると嬉しいです!
実は、又吉直樹さんの「火花」「人間」にも妄想解釈できるところがたくさんあります。
みんなで本を再読し、又吉さんの本の奥深さを味わいましょう!
インスタントフィクションを又吉さんぐらい楽しめると、本を読むのがもっと楽しくなりそうですね!
最後までご覧いただきありがとうございました。
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