みなさまこんにちは!
本日は人類永遠の課題(とも言える?)「信じるとは何か」をテーマにしてお送りしようと思います!
突然ですが皆さんは「人に裏切られた」と感じたことはありますか?
私は今まで何度もありました。
例えば
- 中学校の時親友だと思っていた子にいじめられた時、
- 高校の同級生にアム◯ェ◯へ勧誘された時(笑)
などは「この子でもこんなことをするんだ!」とものすごくショックを受けました。
それでも、私は綺麗事でしょうが、
「人を裏切るぐらいなら、人に裏切られる方がいい。人を疑って過ごすぐらいなら、信じて裏切られる方がいい。その方がずっと楽に生きられる。」と思っています。
それは、うちの母親が自分しか信じない典型的な人を疑って生きている人物で、すごく生きにくそうに見えるからです
そこで本日は、そんな「疑心暗鬼オリンピック代表選手の親」に育てられた私が、「人を信じる方が楽に生きていける」という考えを持つまでに出した
「信じるとは何か」という答え
について模索しながら書いていこうと思います。
正直今も迷走中です笑
そして、これはまだまだ人生ひよっこ私の結論ですので、正解とかではありません!
ぜひご意見があればお聞かせくださいませ
人間関係に疲れている方、人を信じることが怖い方、もしくは誰かに騙されて落ち込んでいる方、それ以外でも信じるということに興味がある方はぜひご覧ください!
〜目次〜
信じるとは一般的にどういうこと?
信じるということは、世間一般的にはどういうことなのでしょうか?
国語辞典によると、「信じる」という言葉の欄にはこのように書かれています。
①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う。
②自分の考えや判断が確実であると思う。確信する。
③相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。信用する。信頼する。
④信仰する。信心する。
ふむふむなるほど〜。。。
捻くれ者の私は、国語辞典を見た時にちょっと疑問に思いました。
そもそも信じるってここに書いてあるように、相手や自分を全く疑わないものなのかな〜?
そう、私が思っていた信じるのニュアンスとは違ったんですよねぇ…。
例えば、
私の大好きな宝石を買うときに、いつも担当してくれる素敵なOさんという方がいます。
私はこの人を信じて、いつも購入しています。
ですが、そのまま全て言われたことを鵜呑みにしているわけではありませんし、
別に仕事以外でのOさんを知っているわけではありません。
そして向こうは仕事なので
私が気分良く買い物ができるようにお世辞をいい、
(頑張って)おまけをつけて、
(仕方なく)ちょっと値引きして購入したくなるように誘導してくれます笑
それは、表面上であることはわかっています。
だからあくまで、その人の仕事ぶり・好みのものを用意してくれる努力をかって、
その結果Oさんを信じることができて購入しているわけです。
また自分に宝石を見る目があるとか思ってはいないので、自分の判断が確実だとか思ってはいません。
ただただ気に入ったものを買っているだけ。
これって国語辞典にあった、少しの疑いも持たない、自分の判断が確実だと思う、相手の言葉に偽りがないものと思うに当てはまってるのかしら?
大きく見れば当てはまってるのかもしれないけど…。
一般的な意味を探っていけばいくほど、しっくりこないな〜と感じてしまいました。
さて、もう少しこの「信じる」という言葉を掘り下げるために、哲学的な話にうつりたいと思います。
そこで次は
「言葉の意味を掘り下げるために、そもそも哲学がどうして出てくるのか?」
についてお話ししたいと思います。
哲学とはどういうもの?
大学で哲学について学んだ私としては、哲学は物事を深く考えるときに必要な学問だと認識しています。
つまり今回の「信じる」という言葉を掘り下げるのに、もっとも適した学問だと思ったのです。
そこで大辞泉で哲学について調べると、
- 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
- 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」
と書かれています。
なんだか難しい表現ですねぇ〜
これを簡単にいうと
- その物事の真理を追求する学問
- 自分なりにその物事をどう捉えているか
この①、②ともに哲学なんだよ!ということかと思います。
そして、哲学を活用する上でもう一つ個人的に重要だと思う考え方があります。
それは、哲学者として有名なソクラテスの「不知の自覚」というものです。
【不知の自覚とは】
自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、知っていると思っている有識者より知恵があること
言い換えると、
知恵に関して「自分にはほとんど価値がない」ことを自覚した者が、人間たちの中で最も知恵がある者である
という意味です。
いわゆる私みたいなすぐ知ったかぶりしちゃう人は、おバカちゃんということですね!
(ショボーン)
他にも有名な哲学者はたくさんいらっしゃるのですが、私的にはこのソクラテスの言葉がとても響きました!
そしてこの2つの概念を合わせると、
哲学とは
その物事の真理について、自分の経験などを踏まえながら、決してその物事を知っていると思い込まずおごらず、追求すること
という結論に至りました!
そして、この哲学を利用して今回のテーマである「信じるとは何か」を考えれば、「信じる」という言葉の本当の意味に近づけるのではないかと考えたのです。
うまく伝わっているかしら?伝わっていると信じて先に進みます!
信じることを哲学的に考え見つけた答え
さて、やっと本題まできました笑
ここまでのおさらいをします。
まず私の当初の「信じるとは何か」を一般的な意味を国語辞典で見てみた時に思った
「そもそも信じるというのは、相手や自分を全く疑わないことなのか?」という疑問から、「信じる」という言葉の意味を掘り下げようと思いました。
次に「信じる」を掘り下げるために哲学を活用しようと考えました。
そして哲学とは「その物事の真理について、自分の経験などを踏まえながら、決してその物事を知っていると思い込まずおごらず、追求すること」であると結論づけました。
では、信じるという言葉を哲学的に掘り下げていきましょう。
先程述べたように、「信じるということは、全く疑わないこととイコールではない」と私は思います。
これは、私の先程のOさんを信じるという例からも分かる様に、私の経験から哲学的に判断しています。
そして信じるというのは、疑わないのではなく、
そういう疑っている部分も含めてその人や物事を判断できる自分を持つということなのでは無いかと思いました。
その人、その商売、その投資、その会社など、自分が買ったり行っている全ての物事を、これは間違いなく正解だと確信しては無いですよね。
もしかしたらその人は裏切るかもしれないし、その商売はコロナ不況など予期せぬことで滞るかもしれない、投資も確実じゃなくてリスクがあるし、大手の会社だって潰れてしまうかもしれない。
でも信じないと、何もできない。
だからこそ、その一瞬でも、1ヶ月でも、信じて行動するんだと思うんです。
というわけで結論です!
結論
信じるとは…
ある人物や事象について、自分が知りうる情報や経験を全て総合し、その人物や事象がどういうことなのかを判断できる自分を持つこと
そして、この自分が知りうる情報や経験というのは無限にあると思うので、これを追求しつづけることこそまさにソクラテスの「不知の自覚」に通ずるのでは無いかと感じます!
また「色んな物事を判断できる自分」というのはなかなか持つのが難しいと思うので、今後自分の人生の中で、色々なことを判断できる自分を持てるように努力し、色んなことや可能性を信じていきたいと思います。
それでは最後まで読んでいただきありがとうございました!共感してもらえると嬉しいです。
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それではまたお会いしましょう👋